ヒロスケの長崎歴史さんぽ 第17回 威福寺とキリシタン
(其の一)
◼️シーボルト通り東端
・新大工町よりも東側が長崎村。
・長崎街道ここに始まる というよりも、江戸が基点と考えると『終わる』が正しいという見方もある。
◼️桜馬場天満宮
・馬場郷。
・江戸時代は 威福寺 だった。
・一週間で小倉、そこから船で大阪へ、江戸まで約一ヶ月半の道のりだった。
・威福寺は、長崎最初の寺。長崎中心部は元々人が住んでおらず、開港してイエズス会に寄進したので、教会が先に建った。
・仏教を長崎へ広めるための拠点。
・明治の神仏分離令により神社へ。
・本堂は大正時代に建て直し。
(其の二)
◼️夫婦川町
・長崎村夫婦(めおと)郷
・雄川と雌川が流れていた
・織部神社側から流れていた?のが雄川、道沿い(とっぽ水側)から流れていたのが雌川
・今はなき、斎道寺境内に雄川の泉があった。現在はそれがどこであったか不明。