ヒロスケの長崎歴史さんぽ 第18回 長崎甚左衛門と村の教会
◼️織部神社(長崎市夫婦川町)
・長崎織部亮為英(おりべのすけためひで)=長崎甚左衛門の弟 が祀られている。
・甚左衛門が追放された後も長崎に残った。
・お墓であるが、明治時代に廃仏毀釈で仏教をやめる必要があったので神社に。
・暖簾に、長崎家の家紋(やつぐるま)を見ることができる。
◼️長照寺別院 (長崎守護 織部善神堂)
・長崎家が仕えた大村藩は日蓮宗を信仰していた。
・廃されていたが、平成21年に再興。
・長崎祠記(しき)の碑 長崎の歴史が記されている。
・西道仙=長崎市議会議長が書いた。
・琴石 という石材。
◼️桜馬場公民館
・上長崎村役場跡=桜馬場公民館
・上長崎村の中心地
◼️桜馬場中学校
・戦国時代当時の住所は 肥前国 大村藩 長崎村 馬場郷 館(たち)
・長崎小太郎重綱(初代)が鎌倉からやってきて、この地を治めた。(14代が長崎甚左衛門)
・館の向かいは『二日市』と呼んでいた。毎月二日に市が開かれていた。
・明治時代に桜が植えられて、馬場郷が『桜馬場』となった。
・旧メインストリート(夫婦川から桜馬場中学校側に抜ける道)の突き当たりに、門があったと言われている。
◼️春徳寺
・大村藩はポルトガルと手を組んで軍事力を強化
ポルトガルは宗教の普及が目的。
・たばこは精神安定剤。トードスオスサントス教会は薬=たばこを使って布教した。
・コレジヨ・セミナリヨ=キリスト教の教育機関